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萬慶寺山門(楼門)

ページ番号:664-808-957

最終更新日:2017年5月12日

萬慶寺山門(楼門)

指定情報

指定

《市指定 第40号》 平成8年7月1日

所在地 鯖江市深江町 萬慶寺
管理者 曹洞宗亨浄山(こうじょうざん)萬慶寺
時代 江戸時代後期
員数 1棟

概要

 萬慶寺は、享保5年(1720)に初代鯖江藩主間部(まなべ)詮言(あきとき)が越後村上から転封となったことに伴い、村上の常福寺の僧陽光が西家中(現在の桜町)に「万松庵(ばんしょうあん)」を建立。その後、享保10年(1725)に2代藩主詮方(あきみち)(1709~1785)によって現在地に移され、現寺号に改めたもので、以後間部家の菩提寺とされた。
 山門は一間一戸の楼門形式の建物で、下層は正面3.64m、側面2.42mとし、上層も同規模とするが、正面は3間、側面は2間とし四周に高欄付の榑縁(くれえん)を廻らしている。柱はすべて円柱とし、台輪を入れ三斗を組み、一軒半繁垂木の軒で、入母屋造桟瓦葺の屋根となっている。平成8年の調査により「嘉永二己酉の歳新造立」の棟札墨書が発見され、嘉永2年(1849)に建築されたことが判明した。
 全体的に簡素であるが、禅宗様(ぜんしゅうよう)でよくまとまっている。また、鯖江では数少ない2階建て楼門形式の門の1つとして貴重な建物である。

コラム 開国

 萬慶寺山門が建てられてから4年後の嘉永6年(1853)、浦賀(現在の横須賀市の一部)にアメリカ東インド艦隊司令官ペリーが軍艦4隻をひきいて来航し、日本に開国を要求した。翌年、ペリーは軍艦7隻をひきいて再び来航し、幕府はその威力に屈して、日米和親条約を締結し、下田・箱館を開港した。この後、イギリス・ロシア・オランダとも同様の条約を結び、ここに200年以上にわたる鎖国政策は終わりを告げた。

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