藤原 善超(1785-1855)
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最終更新日:2017年3月24日
横越本山證誠寺の「中興の祖」
藤原善超(
当時の證誠寺は度重なる火災によって荒廃しており、善超はまず伽藍の再建に取り組みました。再建事業途中で御影堂が再び火災で焼失するなど、不運に見舞われましたが、懸命な努力の結果、文政7年(1824)に御影堂が完成しました。相次ぐ飢饉による物価高騰や社会不安を乗り越えての復興に、善超は人々から本山證誠寺の「中興の祖」と尊敬され親しまれたのです。
善超は歌人としても有名です。天保14年(1842)に編纂された歌集「東溟家集」には1730首が収められており、中央歌壇からも高い評価を受けていました。鯖江では舟津神社宮司らと交流し、「鯖江社中」という歌会を主宰しました。また、鯖江藩第7代藩主間部詮勝とは、詮勝が京都所司代時代からの交流がありました。
和歌を通じての交流は、飛騨国高山や古川にも及んでいます。当時の越前国内の幕府領の統治は飛騨郡代(高山代官所)が兼務していたため、越前と高山は関係が深く、飛騨郡代が本山證誠寺を訪問することもありました。また、高山には福井の歌人
證誠寺を再興し、和歌を通じて各地各層の人々と交流した善超は、「東溟さん」と慕われ、安政2年(1855)、71歳でその生涯を閉じました。
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