鯖江市指定文化財

ばんけいじさんもん(ろうもん)
萬慶寺山門(楼門)(1棟)

指定 
所在地 
管理者 
時代 
《市指定》 平成8年7月1日
鯖江市深江町 萬慶寺
曹洞宗亨浄山<こうじょざん>萬慶寺
江戸時代後期


  萬慶寺山門(楼門)

 萬慶寺は、享保5年(1720)に初代鯖江藩主間部詮言<まなべあきとき>が越後村上から入封したのに伴い、村上の常福寺の僧陽光が西家中(現在の桜町)に「万松庵<ばんしょうあん>」を建設。その後、享保10年(1725)に2代藩主詮方<あきみち>(1709~1785年)によって現在地に移され、現寺号に改めたもので、以後間部家の菩提寺とされた。
 山門は一間一戸の楼門形式の建物で、下層は正面3.64m、側面2.42mとし、上層も同規模とするが、正面は3間、側面は2間とし四周に高欄付の榑縁<くれえん>を廻らしている。柱はすべて円柱とし、台輪を入れ三斗を組み、一軒半繁垂木の軒で、入母屋造桟瓦葺の屋根となっている。平成8年の調査により「嘉永二己酉の歳新造立」の棟札墨書が発見され、嘉永2年(1849)に建築されたことが判明した。
 全体的に簡素であるが、禅宗様<ぜんしゅうよう>でよくまとまっている。また、鯖江では数少ない2階建て楼門形式の門の1つとして貴重な建物である。
#50 
開国
 萬慶寺山門が建てられてから4年後の嘉永6年(1853)、浦賀(現在の横須賀市の一部)にアメリカ東インド艦隊司令官ペリーが軍艦4隻をひきいて来航し、日本に開国を要求した。翌年、ペリーは軍艦7隻をひきいて再び来航し、幕府はその威力に屈して、日米和親条約を締結し、下田・箱館を開港した。この後、イギリス・ロシア・オランダとも同様の条約を結び、ここに200年以上にわたる鎖国政策は終わりを告げた。