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繊維の歴史

ファッションを彩る鯖江の繊維
 鯖江市では古くから織物が生産されていました。河和田荘が成立した1134年には、当時有名な「八丈絹」を年貢として納める契約が文献に残されています。以来、養蚕・製糸・蚕種製造販売などが進み、明治の頃には全国でも有数の養蚕産地になりました。また、江戸時代には副業として石田縞織りが誕生し、農作業や学校の制服にも使われ、人絹織物が登場するまでは県下で広く使用されていました。
 本格的な産業としてのスタートは、輸出羽二重織物の生産が始まった明治20年ごろといわれています。繊維王国と呼ばれた福井県の中でも鯖江市はその中心的な地位を占めていました。昭和初期の世界恐慌により羽二重織物が衰退すると、人絹織物へと移り変わり、福井の「人絹王国」を支えました。戦後、昭和30年代に入ると技術革新とともに、ナイロンなどの合繊糸が開発され、いち早くその加工技術習得にも取り組みました。現在では、優れた技術力で世界の合繊産業をリードしています。また、市内には原糸メーカーや多くの染色加工業が集積し、繊維に関する業態のほとんどが揃う全国でも珍しい地域を形成しています。

繊維の歴史

1819年 立待村高島善左衛門 石田縞を興す
(現代に伝わる石田縞織)
1869年 福井藩バッタン機 フランスより購入
1887年 福井の機業家
羽二重織物技術を伝習セルロイド枠の製品化
1889年 鯖江に輸出羽二重工場ができる
1894年 福井生糸取引所・立絹織物同業組合設立
1896年 生糸検査所鯖江市所設立
(旧鯖江地方織物検査所)
1899年 羽二重売買協定
1913年 今立外三郡蚕種同業組合鯖江町に設置許可
1919年 輸出羽二重生産ピーク
1923年 越前製糸協同組合鯖江町に設置許可
1931年 福井県輸出羽二重工業組合設立
1974年 協同組合鯖江市機業連合会設立
繊維会館建設
1979年 中国繊維技術視察団来鯖
(丹南産業フェアファッションショー)
1994年 第1回鯖江ファッションショー開催
2000年 丹南産業フェアファッションショー開催
2000年 協同組合鯖江市繊維協会設立
2001年 イタリアカンデロ市「日本文化祭」に出展
2001年 鯖江繊維産業ビジョン策定
2002年 マランゴーニ学院ファッションコンペ開催

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石田縞織り~鯖江今昔より~
 
「石田縞」と称して愛用された織物にこの商標が用いられた 「♪二反織りゃよいのに三反織って、あとの一反は殿ごへ進上」
 このように唄われた”石田縞”にもその全盛期があった。その頃は(はた)の織れない者は嫁のとりてもないとまでいわれていた。だから石田織りの娘さんたちは「ガチャコン、ガチャコン」と、雪の降りしきるよなべ仕事に機織り音と調子を合わせて恋情を込めて機を織ったものと思われる。
”石田”はその昔は農耕の田畑が洪水のたびごとに、石原となってしまうので”石田”と呼ばれたという。ここは、絶えず水害に悩まされる貧しい百姓部落であったのである。天保の飢饉のときのことであった。今から五代前の先祖高島善左衛門がまだ若かった頃、母が仕事着をバッタンコバッタンコと手織りで織っているその後に立って彼はじいっと考え込んでいた。そして、善左衛門はこの姿を見てなんとかしてこれを産業化出来ないものかと考えた。
 その頃、すでに他県では原糸業や織物産業が芽ばえていることを知り、寺小屋の先生に教えられた「天は自ら助くるものを助く」と、いう古言を信じて村の生計を立てる産業を起こそうと志を立てた。そして同志を募り織物の先進地である美濃国(今の岐阜県)へ大野から山を越え、険しい山道をたどって美濃に着いた。ここで、修行すること三年。ついに足踏みの機織を組み立て、自ら車に積んで石田へ持ち帰った。そして人々に教え手織りから足踏み機へと替わり、ここに石田縞が起こったのである。そしてその生産は土地の産業にまで発展した。やがて染色の技術も研究し、藍の自然染めには、藁灰汁や綿実灰汁を作ってその手染めの美しい織物も染めるようになった。
 大陸からの流行やデザインではなく石田縞独特の縦縞を考案し、大・中・小の縞目や、特別細い千筋・万筋を織った。そして、産地も広がり、石田を中心に丹生郡の立待・吉川・常盤などに百五~六十人の組合員が出来た。そこで事務所を西田中に置き丹生石田縞織物業組合もできた。原糸は丸岡方面から仕入れ、藍玉は立待の石田などに原料商ができて、広島や阿波から仕入れた。そして鮮やかな紺色や黒をはじめ、新しくカリヤスという自然草からは茶色染めを工夫し、こうして石田縞はますます有名になった。明治・大正にかけて、小・中・女学校の制服ともなった。特に、仁愛や女子師範の石田縞の袴スタイルは、当時男性の憧れの的であった。
 衣は天照大神の神代から、婦女子の仕事として伝わり、「一婦織らざれば一夫寒気に窮す」と、いわれて来た。従って太古の弥生時代から、織物はあったのである。木綿は我が国では桓武天皇の延暦十八年、(七九九)三河に漂着した人から綿の種子を受け継ぎ、その栽培が日本中に広がっていったものといわれている。木綿は常衣としては丈夫で保温にも適している。また電気も起こらず、汗を吸い肌ざわりもいい。それに染色しても藍の自然染めは色褪せても美しく、しかも価格も安いので最も良い織物として世界貿易にも威力を示し、大きな産業となった。この間二千年余り、時が移り世が変わり、今は化学合成繊維が多くなって、木綿はほとんどその姿を消してしまった。石田縞も今はその跡形もない。しかし、大正十三年六月初代高島善左衛門を顕彰して、石田町の端には碑が建てられている。また、さきごろ郷土出身の小説家津村節子さんが、石田縞の名残を惜しむ、吉川道江さんをテーマに小説を書かれた。この石田縞を鯖江の名物産業として復活させられないものかと思う今日この頃である。(五十二年二月号)
石田縞織り 
 

 

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ブランド創出のために

 大手アパレルからも高い評価を得ている鯖江の製品
 丹南産業フェアにおける丹南ファッションショーをはじめとする、さまざまなコンテストに素材を提供しています。産地の強みであるテキスタイル作りに新たな創造性を付加するため、若手クリエーターとのコラボレーションが進められています。その中からものづくりのヒントを得て独自の商品作りに着手し、開発力・デザイン力を高め産地鯖江ならではの優位性を築こうとしています。
 メーカー主導型の受注生産だけでなく、産地が主体的に自分たちのつくったものを売り、デザイナーたちが選びやすいよう提案していく。ここから新しい鯖江の繊維が生まれてくることでしょう。

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最先端技術で未来を拓く鯖江の繊維産業
鯖江市の繊維産業は高度な技術力を基にポリエステルやナイロン素材といった合繊長繊維を主体とした、広幅織物、ニット、レース、細幅織物、染色加工など多様な繊維製品を生産しています。「川中」と呼ばれる織物や経編みの中間加工業者が多く集積し、その高度な技術を駆使してファッション衣料の服飾関係はもちろん、医療、自動車シート、エアバック、コンピュータ部品など産業用分野でも活躍する企業が増えてきています。

(飛行船) (気球) (エアロシェルター)

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織物はこうしてできる

織物の製造工程
1.原糸→合糸 2.先撚 3.仮撚 4.追撚

5.セット 6.サイジング 7.経通し→織布 8.染色

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